内山節の哲学講座

2010年5/23(日)

森の哲学塾
「森と交流」

2010年度 赤城親しみの森にて開催


① 国有林の現状

赤城の森は木材生産の森として植林されたものだが、アカマツはこの地特有の北風と手入れ不足で林産的にはうまく育っていない。

国有林の現状では、上手くいっているのは関東地方では10%程度であろう。また森林フォーラムの森周辺は、北側のスギ林地の大規模な伐採の影響が大きく次々と枯れだしている

国有林は「自然の森」へと目的を変えて「都市の森」へとならつつある。都市の皆さん使ってください、というようになってきた。


② 人々の森林に対する考え方

村の森も都市近郊の森も1955年頃までは薪炭・山菜など生活と共に在った。今では村でも炭焼をほんの少し残すだけとなっている。そして林産業としては成り立たなくなってほとんどあきらめてしまった。

森林は環境のためにあるという考えに支配されてきているのだ。富士山の森とか北アルプスの森は今や中国・韓国・欧米からの観光客であふれ、感動と賞賛を得ている。日本の自然環境は日本の資源から世界の資源へと価値観を変えてきている。貴重な自然として世界の観光地(自然公園的なもの)とみなされる傾向が見えてきた。日本の山村での生き方に感動する人たちも現れ始めてきた。環境の森から、更に変化して貴重な自然としての森に変っていっている。


③ 森の価値観の変化

森を訪ねる人は都市の人であり、そういう人たちが認める森の価値とはなんだろうか。観光という文字のように、それは光を観たり、光を観せるという人と自然の相互交流にあるのだろう。
森の価値とは、人と自然の交流の場にあると言ってもよいのではないだろうか。森をめぐる交流を通して都市も変っていくのだろう。

森は、産業資源の時代から自然・文化資源の時代へ変ろうとしている。日本の森、川、水、海とそれらと共にある文化。それらがこれからもそうかというと不透明な部分もある。森の少ない中国では、富裕になると木の重要性にめざめていくのだという。自然との交流・つながりをとおして、精神的変動を促して新しい文化の時代を作っていくのだろう。


参加者】19名

2009年7/9(日)

森の哲学塾
「森林文化と里山文化の現代事情」

2009年度 赤城親しみの森にて開催

小春日和の中で行われた。

テーマは決めずに内山さんに自在に語っていただいた。
勝手に名付けるとすれば、「森林文化と里山文化の現代事情」とでも言おうか。

① 照葉樹林文化論

〜中尾佐助より提唱〜

照葉樹林帯のくらしは原生種の稲を含めた雑穀と芋の文化として捉え、稲は南方系とみられてい。そしてやがて北方のブナ帯文化とも混じり融合していったと考えた。


② 里地里山文化論

〜養父志乃夫より提唱〜

照葉樹林文化というより里山文化との考え方を提唱している。稲の原産地を長江中流域とみて、日本の縄文時代には採集の暮らしと共に稲作を含む穀物の栽培も既になされていた。こうした人々の暮らしに立脚した文化の考え方。


③ 今日の里山
 

今日、里山文化といっても森と村の暮らしというより、都市の人間として里山が主要な課題になり、山村では里山的な考え方がなくなりつつある。

山菜は村の暮らしよりむしろ都市の人のためになり、その採取場所も森の中ではなく道端など日の当たる場所に限られ、キノコ類は里山ではなく奥山に変りつつある。薪、炭の利用もほとんどない。農村的里山利用は実際的ではなくなってしまった。


④ 都市周辺の里山

都市の周辺の里山を見ると、人手を加えているところは自分たちの気に入った景観を作るべく手が加えられていて、生物多様性という観点からは必ずしもふさわしくなっているとはいいがたい。目に見えない小動物は手を加えないほうが多様な場合が多い。

かつての里山を復活させようと手を加える試みもされているが、里山の恵みを利用しなくなった今、その維持はほとんど不可能に近い。


⑤ 今日の森林

森林の維持に対して、林業への誘導として細かな補助金制度があるがあまり意味があるとは思えない。
逆効果として阻害要因となっている場合もある。森と木材をセットとした利用と整備の施策を推進することが今大切であると言われている。


⑥ 木材自給率

木材自給率は18%から最近は合板の製造利用により21%に上っている。しかし、家具など木工製品は自給率からはずされていたり、建築材料だけ見れば50%あることをかんがえると木材自給は小さくない。パルプ材としての自給率は大変低くもっと上げることが可能だ。

しかし建材に限るならば、外材が耐力が低いなどという怪しげな考え方は出来なくなっている。木造住宅の耐久性に関しては、現在は30年、40年での建替えも、老朽化してというよりは、利用の面のしにくさ、見栄えからの理由であることがほとんどである。森林あるいは山は神の存在、信仰の場として維持管理されていたが、江戸後期から物見遊山に利用されたり、近代登山の導入でスポーツ・目的登山となった。

神の居なくなった森林の管理をどう進めるかも今日的な課題となってきたのではないだろうか。


参加者】12名

2008年6/29(日)

森の哲学塾
「環境問題の表と裏」

2008年度 赤城親しみの森にて開催


地球温暖化対策からエネルギー問題、そして食物の自給問題へと多岐にわたった。環境問題とローカリズムの関係を再創造することにその端緒を見出そうと提案された。

参加者】13名

内山節の哲学講座
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